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2007.01.15

入院

今日は親父の月一度の診察の日だった。
しかし、家族の誰もが親父がそのまま入院することを承知していた。
事前に主治医に電話で相談したところ、主治医はなんとしても入院してもらうと言っていたからである。

親父は11年前に心臓の手術をしている。
しかし、完治したわけではなく、今でも血流が悪い。
そのため、腎臓や肝臓も悪くなってきている。

肝臓が悪いがために、足が腫れ上がっている。
既に人間の足ではないように見える。

それに素人の私からでも親父が認知症であることが疑われる。
怒りっぽく被害妄想がひどい。
自分から何かをしようとする積極的な行動がない。
新聞もテレビも見なくなって久しい。

親父は自分で運転して病院へ行くことにこだわった。
今朝、親父は自分で運転して病院まで行こうとして、
車を車庫にぶつけた。
私は親父が納得するように車がぶつかるまで、あえて待った。

親父を親父の車から降ろし、私が運転して病院へ向かった。
泣きそうになったよ。

親父は当然のように入院した。

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Posted at 23:23 | 雑記 |
2007.01.29

個室へ

親父は入院以来4人部屋に入っている。

看護師さんや同じ部屋の患者さんの話によると、最近、夜中になると騒いだりしているらしい。

昨夜も、何度も漏らしたりしため、個室へ移ることになった。

Posted at 23:44 | 雑記 |
2007.01.30

行方不明→保護

朝6時頃電話が鳴った。
病院のベットから消えたとのこと。
すぐに病院に向かった。

向かう途中で携帯が鳴る。
高校の近くの路上で警察によって保護されたらしい。

親父の病室はたまたまナースステーションの前だったのだが、親父の病室にいると当直の看護師が大きな声で親父に対する文句を言っていた。
申し訳ないのだが、そこまで言わなくてもいいだろうと思う。

病室では家に帰りたいとひっきりなしに言うようになった。

婦長や主治医と面談した。
夜間は看護士が二人しかいないため、例え完全看護であっても、面倒を見きれないとのこと。
なんだったら夜は外泊してみたらどうか・・と提案された。

外泊といっても、我が家には今の親父を受け入れるだけの体制が難しい。
今晩は母が一緒に泊まることになった。

Posted at 23:42 | 雑記 |
2007.01.31

食事

ご飯の食べ方がわからなくなった。
箸は使えるが、箸を持っても、どうしたらよいのかわからない。
私に教えられて、口まで運ぶ。
運んだまま、口の中に入れることなく、箸を元のお皿に戻す。
口の中に入れることを教えると、口の中に入れるが、
食べ物を箸でつかんだまま、また元の皿の上に戻す。

8時すぎまで夕食にかかった。

トイレでもズボンをおろすことができなくなった。

母午後に一度帰宅、風呂に入ったがロクに眠ることもなくまた病院に泊まりに行った。

Posted at 23:30 | 雑記 |
2007.02.01

心筋梗塞

午後6時半頃、病院にいる弟から連絡があった。
親父が夕食の途中で倒れたらしい。
すぐに向かった。

病院では親父の病室にたくさんの医師や看護師がいた。
心肺停止。
電気ショックを5度かけたらしい。

一時は、いろいろな事を頭にめぐらせた。
一命はとりとめたが危ない状況らしい。

Posted at 23:59 | 雑記 |
2007.02.02

発作

午後10時30分に2度目、午後11時45分に3度目の発作があった。

心拍数がとても多くなった。
その度に看護師が来て、電気ショックを行った。
昨日の電気ショックで親父の胸は火傷でただれている。
口には酸素のチューブが喉まで差し込まれていて話すことはできない。
無意識のうちに酸素のチューブや点滴の針をはずそうとしてしまうため、やむを得ず手はベッドにしばりつけてある。

痛々しいが、それでも電気ショックのおかげでなんとか助かった。

3度目の発作の後、主治医に呼ばれた。
体力が回復したら、体の中に機械を埋め込む手術をしたらどうか?
その機械は心拍数に異常があった時、すぐに関知して電気ショック与えるらしい。
しかし、その機械を埋め込む手術をするためには約150km離れた病院に移さなければならず、また手術には2週間ぐらい入院せねばならないらしい。
母親はその間、ずっと付き添うことになるのか・・・。

ただ、認知症である親父にその手術を受け入れることができるのか。
難しい。

Posted at 23:59 | 雑記 |
2007.02.03

職場の記憶

昨日の発作の後、新たな発作は起こらなかった。
喉まで差し込まれていた酸素のチューブがはずされた。
そのかわりマスクをはめている。

昨日から来ていた叔父が帰って行った。

親父はよく話すが、話す内容は自分が10年ほど前に勤めていた旅館のことばかりである。
現実には、その旅館は既に取り壊されアパートになっている。
その旅館の板前さんに話さねばならないことがあるという。
親父の頭の中では、いま親父が寝ているのはその旅館の一室であり、まだ勤めていると思っているらしい。
清掃のおばちゃんが部屋の前を話しながら通っていく。(本当は看護師)

親父は叔父が帰った後も、私のことを叔父だと思っている。
長男のことを忘れてしまったらしい。

Posted at 23:59 | 雑記 |
2007.02.04

見舞いに来てくれた人

帰って行った叔父の息子達が見舞いに来てくれた。
私の従兄弟たちが全員そろってである。

親父は寝たままほとんど話さなかった。
人を気遣うような「すまない」との言葉もなかった。
今の親父は自分のことしか考えることができないのかもしれない。

それに、取り繕って話しているが、誰なのかもわからなかったのかもしれない。
私が自分の息子であることは思い出した。
しかし、今日誰が見舞いに来てくれたのかなど、全く思い出せなかった。

Posted at 23:59 | 雑記 |
2007.02.05

妄想

妄想が多い。
自分は誰かの身代わりになって今病院にいるのだという。
その誰かがいつかまた自分の身代わりになってくれるのだと。

妄想以外では、
家に帰りたいということと、ウィスキーが飲みたいということだけだった。

Posted at 23:07 | 雑記 |
2007.02.07

リハビリ

ベッドの上で、足を動かすリハビリが今日からはじまった。

リハビリをできるまでに体の方は回復した。
その分、家族としての不安もある。
リハビリをする姿を見ながら、これからどうなるんだろうと思った。

Posted at 22:18 | 雑記 |
2007.02.08

手術

今日、主治医に呼ばれた。
以前話された、体の中に機械を埋め込む手術を家族で話し合っておくとよいのではないかということだった。

このままでは退院も視野に入れなければならない。
そうなった時に、いつ発作が起こるかわからない。
その発作のための予防の機械である。

親父の人生、もう長くはない。
短いだろうと思う。
その機械を埋め込むために二週間もベッドに縛られた生活を送らなければならないかもしれない。

親父の人生のためによいこととは何だろうと悩む。

Posted at 22:16 | 雑記 |
2007.02.09

食事

少しだけであるが、お粥を食べた。
人に食べさせてもらっている。
何を食べたのかはわからないようである。

病院にいる理由がなくなっていくのも不安な気がする。

Posted at 22:21 | 雑記 |
2007.02.10

手枷

弟がさっき、親父の縛られている両手を、2度もベッドに縛りなおしたと、親父が言っていた。
あんな奴はもう二度と家には入れないとも言っていた。

弟は最近、親父には会っていない。
親父の妄想にしても、可愛そうな気がする。

Posted at 22:02 | 雑記 |
2007.02.11

手が自由に

ベッドに繋がれていた両手が自由にされた。

あとは、心拍数をはかるためのセンサーと、栄養のための点滴が体にはつながれている。

親父がベッドの上で自分で上体を起こした。
家に帰りたい一心のようだ。

親父の話では、
昨晩、タクシーを呼んで家に帰ったのだという。
帰って何をしたのか聞いてみたら、家で寝たのだという。
ほかには何もしなかったらしい。

もちろん親父は昨夜、病院から一歩も外には出ていない。
よほど帰りたいのだろうとは思う。

Posted at 21:58 | 雑記 |
2007.02.12

意識が鮮明に

今朝、病室に行ってみると親父が起きていた。
昨夜は明るくなるまでずーっと眠れたらしい。
入院してからはじめてのことのようで、看護師さんも驚いていた。

そのためもあってか、今日はかなり調子がよいみたいだ。
話の受け答えもはっきりしているし、
何よりも昨日見舞いに来てくれた人が誰だったか憶えていたことに驚いた。

そして昼食。

はじめてベットから起きあがり自分で食事をすることにした。
倒れる前は箸やスプーンの使い方も忘れていたので、
試しに箸やスプーンの使い方を教えないまま食事を親父の前に置いた。

すると、何の問題もないようにスプーンを使って、普通に食べだした。

食事の仕方を思い出したようである。
とても嬉しかった。

しかし、食事の仕方を忘れていた・・・ということは忘れている。
いいんだか悪いんだか。

Posted at 20:24 | 雑記 |
2007.02.13

感情が不安定

家族みんなで俺をいじめないでくれよ。


昨夜は全く眠れなかったらしい。
点滴の針を腕から引き抜き、シーツを血だらけにした上、
ベッドの柵を引き抜いてしまったらしい。

食事がとれることもあって、点滴は一日数時間だけとなった。

今日は親父の感情がかなり不安定だった。

ベッドの上にあぐらをかくようになったが、あぐらをかいている時はいつも下をうつむき、一点をみつめていた。

親父には、心拍数をナースステーションへ転送するための端末が3つの端子で装着されている。
それが邪魔でしかたなく、とても気になっている。
頼むからはずして欲しいと哀願する。

親父に、酸素のチューブや点滴がとれただけでもいいじゃないかとなだめると、つい数日前のことなのに酸素のチューブのことを全く憶えていないらしい。


そんな時に親父がこう言った。

家族みんなで俺をいじめないでくれよ。


悲しかった。

Posted at 23:19 | 雑記 |
2007.02.14

親父はもう自分で運転することはできないだろうと思う。
なのに、自分では運転できる気でいる。

周りの親戚からは、入院している間に処分してしまえと言われているが、後からそんなことを親父が知ったときのことを考えるとその判断はできないでいた。


昨日-。

私が病室に行ったときに、私は親父に車の話をきりだした。

親父の車はもう壊れてしまった。
車検も近いし、直すと結構高いらしい。
高い金を払ってまで直すほどの車じゃないと思うがどうする?


意外な答えが返ってきた。

壊れたものは捨てるしかないな-。


廃車にすると伝え、私は帰宅した。
結局、昨夜は母親が病室に泊まった。


それからである。
全く考えもしなかった。

親父は午後11時頃起き、それから朝までずっと車の話をしていたらしい。
新しく買う車の話をである。

今日私が病室に行ったときも、親父に新しい車の話をされた。
すぐに必要なのだと言う。

どうして急いで必要なのか尋ねた。

病院に通院するためにどうしても必要なのだという答えが返ってきた。
その病院とは今、入院している病院だった。
Posted at 22:39 | 雑記 |
2007.02.15

車の続き

今日も親父は車にこだわっていた。

車を買わなきゃいけないから、自動車屋に電話してくれ。
仕方がないから母親が自動車屋に電話する。

親父が自動車屋に「車が壊れたから、中古車のいいのを探してくれ」と頼んでいる。

車屋のおじさんが、
「車はたくさんある。まずは体をなおして退院してから探しても遅くはない。それからにしたほうがいい。」と言ってくれた。

親父は納得したらしく、それからは車の話を言わなくなった。


昨日、自動車屋のおじさんに親父の状態のことを伝え、もし電話がかかってきたら、そう答えて欲しいと頼んでいた。
こんなに早く自動車屋のおじさんのお世話になるとは思わなかったが。
Posted at 22:26 | 雑記 |
2007.02.16

婦長と面談

今日は婦長さんと初めて会った。
婦長さんが日勤であるためにこれまで一度も会ったことがなかった。

今後のことなどについて、わからないことや悩みを聞いてもらった。

親父の場合、今、回復期にあり安定した状況ではない。
そのため、介護保険の申請を私たちにすすめたほうがよいのかどうか、婦長さん自身迷っているのだという。
介護保険を一度申請してしまうと、医療保険は使えなくなるようだ。
そうなると医療保険のサービスより高額になる場合もある。

このまま親父のリハビリがすすみ、自分で立って歩けるようになり、
またなんでも食べられるようなると退院する。
親父が退院した場合、どのように対応するのか。
自宅で療養し、24時間付き添うのか、何か滞在型のサービスを利用するのか、一時的なサービスを利用するのか。
どのような選択肢があるのかさえも整理されていない今、急に「退院」となってもどのように対応したらよいのかわからない。

そんなことを心配していたが、
婦長さんは、何らかの対応も決まらないまま、追い出すようなことはないと言ってくれた。

少しだけ安心した。

今日の親父はリハビリを行い、おかゆではなく普通の御飯を食べるようになった。
Posted at 23:35 | 雑記 |
2007.02.17

むくみ

今日は午後になって病室に行ってみた。
昨日までよりかなり複雑な話ができるようになった気がした。

しかし、なぜ自分が入院することになったのかを思い出すことはできないようだ。

弟と、2月1日の心筋梗塞の時のことを話していると、「俺は病院でそんなことになったのか・・・」としみじみと言っていた。


足を見ると、少しだけむくみがでてきた。
ベットから足を降ろす時間が多くなったためなのか、点滴を減らして食事にきりかえたためなのか。
また大きく腫れ上がるようになるのだろうか。

体に機械を埋め込む手術のことをいつ親父に切り出そうか迷っている。
親父が自分の体のことを理解できるようになるのを待つべきなのか。


Posted at 23:56 | 雑記 |
2007.02.18

食事にかかる時間

親父は以前と比べるとかなり意識がはっきりとし、自分で食事もできるようになっている。
昨日からは「おかゆ」ではなく、普通の御飯を食べられるようになった。

ただ、食事にとても時間がかかる。
昨日の晩は1時間半、今日の昼ご飯も1時間を食事に費やした。
全部スプーンで食べてるのであるが、一口食べてから次の一口までに5分以上かかることもある。
その間ずっと咀嚼しているわけではなく、スプーンを持ったまま、何か1点を見つめている。

自分で食べられるだけでもよいのだろうとは思いたいが。
Posted at 23:55 | 雑記 |
2007.02.19

今日はまた昨日より足がむくんでいた。
この繰り返しになるのだろうか。

今日の親父は、頭が重そうだ。
食事の時も自分でも気づかないうちにだんだん頭が下がってきて、
しまいには茶碗の中に顔を突っ込みそうになる。

何度言ってもそれはなおることはなかった。
上半身を支えるだけの筋力がないような気もするが、
御飯を食べながらも目を閉じていて、まるで眠っているようだ。

頭の中に霧がかかったような状態なのだろうか。
Posted at 23:43 | 雑記 |
2007.02.20

妄想と現実

ウチの長男が昨日、そこででっかい蛇をつかまえたよ。

今日、親父が、親父のところに看護師さんが来るたびに、それを説明していたようだ。
長男とは私のことである。

もちろん、蛇など捕まえていない。

私が病室に行き親父に話しかけると、
「昨日つかまえた蛇は何という種類だった?ニシキヘビだったか?」と真剣に尋ねてきた。
「オレ、そんなの捕まえたっけ?」と答えると、
「そこに写真があったじゃないか」と、病室の壁を指さした。
なんでも、私が捕まえた大蛇を横に伸ばしている写真が飾ってあったらしい。
(もちろんない。)

「ニシキヘビじゃなくってアナコンダだったよ。」と答えておいた。
Posted at 23:30 | 雑記 |
2007.02.21

主治医から手術の相談

今日は親父はとても意識がはっきりとしていた。

主治医が今日やってきて、親父に、足が腫れ上がって入院し、入院中に心筋梗塞を引き起こし、一度は心臓が止まったこと。またその後も何度か発作がおこりその都度電気ショックで切り抜けていることを話した。
また、治るわけではないが、心臓の異変を関知して電気ショックを自動的に与える機械を体に埋め込む手術をするかどうか、考えておいて欲しいとも伝えた。

親父はすべてを理解したらしい。

明日になって憶えているかどうかはわからないが、とりあえず今日のところは理解した。
私に向かって涙目になりながら「俺の人生、ここまでか・・・とも思う。」と語ったときは、私も泣きそうになった。
遠くの病院に行って2週間ほど入院、その間に手術することになるのだが、親父はそれを了承した。
了承したどころか、「おまえら、すまんなぁ。」と気遣った。

私が病室を出る際は「ありがとう」と言っていた。
心から出たありがとうだった。
Posted at 23:42 | 雑記 |
2007.02.22

激怒

今日、午前中に親父はリハビリを行い、昼食を食べた後寝てしまったらしい。

午後3時頃になって起きたところ、突然怒り出した。

今日、リハビリを行っていない。
リハビリの先生は何をしているんだっ!!

例えリハビリを行わっていなかったとしても、
怒るほどのことではない。

それが、許せないらしい。

普段なら人に介助してもらって、やっとで上体を起こすはずなのに、
自分で起きあがり、自分で立ち上がり、自分で車いすに座った。

そして、自分で車いすを押して、病室を出たが、うまく自分の考えがまとまらないらしく、病院の中をうろうろとしていたらしい。

やはり認知する能力にむらがあるのだろうか。
Posted at 23:12 | 雑記 |
2007.02.23

主治医と転院の打ち合わせ

今日は親父の主治医と転院の打ち合わせを行った。

親父はペースメーカーのような機械を体に埋め込む手術をする予定であるが、その手術は今入院している病院ではできない。
なので、そのためには150kmほど離れた病院に移ることになる。

今日は改めて、本人の意志、家族の意志として、手術を受けたいことを主治医に伝えた。

そうすると、主治医は、
「向こうの病院の予定を聞いてきますね」と言って部屋から出た。

「えっ?話が早いな。」

少したって戻ってくると、
「27日の火曜日なら向こうの病院もいいと言っていますが、いかがですか?」

そんな早い話とは思っていなかったので正直驚いたが、迷っていても時間がたつばかりと思ったので、その日でお願いすることにした。
その日は私の車に親父、おふくろ、そして主治医の3人を乗せていくことになった。
Posted at 23:15 | 雑記 |
2007.02.25

ナイフ

「お前は俺が自殺するんじゃないかと考えて、俺からナイフをとりあげるんだろうが、俺のやりたいようにやらせろよ。」

元気な頃、親父は歯が悪いため、食事の時は愛用のナイフを使ってよく堅い食べ物を切ってから食べていた。
ビニール袋の封を切るときも同じように使っていた。

入院してすぐ、親父はそのナイフを母親に家から持ってこさせたが、病院の看護師にすぐに見つかり取り上げられた。

私がとりあげたわけではないが、親父の中では私のせいになっている。
私であっても取り上げたと思うので一緒ではあるが。

食事の時にそのナイフが必要なのに私のせいで思うように食べられないと言っているのである。
「そんなナイフはずいぶん前に使わなくなってたよ。今、そんな昔のナイフはどこにあるかわからない。」とごまかした。

食べるもの、使うもの、いろいろなことに制約が多い。
今の親父はいろいろなことを次から次へと忘れていっているが、
それもまた幸せなのかもしれない。

Posted at 23:56 | 雑記 |
2007.02.26

明日は別の病院で手術するために出発する。
そのことを親父と話していた。

「俺の準備した鞄はどこへやった?」

「鞄?」

「俺が明日のために準備しておいた鞄だ。」

親父は鞄なんて病室に持ってきていないし、
自分で準備などするはずもない。
それに鞄に入れるものもない。

「鞄に何を入れたの?」

「何を入れたかは忘れたが、鞄を準備したことだけは事実だ。」

親父の中では事実なのだろう。
嘘をついているとは思っていない。

「お前と話していると、はぐらかされるからお前とは話したくない。」
確かに親父の言うとおりだった。
今の俺にはそれしかできない。
Posted at 23:33 | 雑記 |
2007.02.27

転院

今日は正午に病院を出発、私の車で150kmほど離れた病院へ行った。
親父は一度高速のサービスエリアにトイレに行ったほかは、
特に何もなかった。

一度、車のドアを開けたときは驚いた。

移った先の病院は12年前に心臓に人工弁をつける手術をした病院だ。
建物は10階だてとなり、かなり新しくなっていたが裏の駐車場や、田んぼに咲くレンゲの花はそのままで懐かしく感じた。

午後2時頃到着し、ひととおりの検査が終わったのは午後5時頃だった。
親父はそれから晩ご飯を7時頃までかけて食べた。
私は親父の所に母親を残し、一人帰路についた。
親父も大変だが母親も大変だ。
無理しないで欲しいと思う。

Posted at 23:38 | 雑記 |
2007.02.28

お袋

昼頃、叔父に電話した。
今日、親父の入院する病院から50kmほど離れたところに住む叔父が親父の所に行ってくれる。
そのときお袋を叔父の所に泊めてもらえるよう頼んでおいた。

親父の手術は来週の火曜日である。
お袋が大変なのは来週に入ってからであり、今週は少しでも休んで欲しいと思う。

夜、お袋から電話がかかってきて、叔父の家に泊まるらしい。
少しでも休めたらと思う。
Posted at 23:38 | 雑記 |
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